言論の自由や 出版の自由のない国には分からない話だろうけど・・・◇◆ 「中国に負けるな」 アパホテル書籍、ネットで反響広がる ◆◇南京大虐殺を否定する書籍をホテルの客室に置いていることを中国外務省に非難されたアパグループに対して、インターネット上では、ニュースのコメント欄や短文投稿サイトのツイッターなどを通じて反響が広がっている。
アパグループが書籍を客室から撤去する考えがないことを明言したことに対して、「ホテルに政治的主張は不要」などと否定的な意見も出る一方で、「嫌なら泊まらなければいい」と「言論の自由」を支持する声も多い。
アパグループを支持する意見は「よく言った」「中国に負けるな」など。 なかには「炎上しても商売に影響しない、という実例を作ってほしい」と斜に構えた見方も。 一方で「アパホテルの主張を日本人の歴史認識と思われるのはさすがに嫌」「アパホテルで日本を語らないでほしい」という突き放した意見もあった。
同グループには18日までに、1万件を超える意見が寄せられたという。 その多くが「御社の判断を支持します」といった称賛や激励で、「批判的な内容はほとんどなかった」と説明している。 また、「今回の件に関連して、中国人客の予約のキャンセルはほとんどない」と影響を否定した。 書籍を客室に置いていることについては改めて、「誤った歴史教育やメディア報道によって誇りを失っている多くの人に、正しいと信じる日本の歴史を広めることを目的としています」と強調した。--- 産経ニュースより 抜粋 ---
称賛されるべきものではないと思うのは当然として・・・◇◆ ジャンパーに「不正受給はクズ」 小田原市の職員ら着用 ◆◇神奈川県小田原市で2007年以降、生活保護受給者の自立支援を担当する市職員ら64人が「不正受給はクズだ」などの趣旨の英文が背面にプリントされたジャンパーを自費で購入し、一部の職員が勤務中に着ていたことが分かった。 市が17日発表した。左胸部分には「HOGO NAMENNA」、保護なめんなと読めるエンブレムが付いており、ジャンパーを着たまま受給者宅を訪れるケースもあった。
市は同日までに使用を禁止し、担当部長ら7人を厳重注意処分とした。 加藤憲一市長は「厳しい職務環境の中、業務にしっかり取り組もうとの強い思いから任意で作ったと聞いているが、理由はどうあれ配慮を欠いた不適切な表現で申し訳ない」とのコメントを出した。
市によると、07年7月、生活保護の受給資格を失った男が同市役所で、職員2人をカッターナイフで切り付けた事件を機に、当時の担当係長の発案で業者に依頼し作った。 職員らは受給者宅で相談に応じるケースワーカーや庁内勤務の指導員で、28人が現職。
ジャンパーの背面には「不正受給してわれわれを欺くのであれば、あえて言う。 そのような人はクズだ」「私たちは正義だ。 不正が発覚した時は追及する」などといった趣旨の英文がプリントされていた。
係長だった職員は「仕事がきつく、職員の士気を高めたかった。 受給者向けのメッセージではない」と釈明している。〔共同〕--- 日経新聞電子版より 抜粋 ---
荒神とミサキ - 岡山県の民間信仰 にも・・・◇◆ 民間信仰 ◆◇民間信仰(みんかんしんこう)とは、国家の管理を受けず、組織化されていない、日常生活の一部として行われる、民衆主体の宗教運動。 民俗信仰、民俗宗教ともいう。
人の生病老死、魂や霊魂、出産、成長、育児、結婚、葬送にまつわる宗教的な習俗、慣習、迷信、呪術などを総称したもの。 地域社会や集団に属する人の人生、(哲学や観念論でいわれる)死生観や運命観から生まれた、(文化人類学における)死生観や運命観に起因する信仰。 その動機から行われる、儀式・祭り・お供え・祈祷・占いなどの行為。
教義・教則や経典・教本は(ほとんど若しくは全く)無く、教団・教祖や宗派といわれる確固たる宗教集団を持たない。 文化人類学では原始宗教といわれ、宗教学という枠組みでは宗教とは別途に論じられる場合が多い。
主に、アニミズム(見えざる神・霊魂・命が森羅万象に宿ると信じ尊ぶ自然崇拝)とシャーマニズム(運命観にともなう「未来に託す思い」からの祈祷と占い)を発端とする。 キリスト教圏のハロウィンのように、神話から生まれ、既存宗教と結びついて宗教行事化するものもある。 日本では古神道と習合した仏教行事とされるお盆や、古神道からある祈祷と占いを簡略化したおみくじなどがこれにあたる。--- ウィキペディアより 抜粋 ---
今年も・・・◇◆ 毘沙門さま ◆◇日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。 庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。 鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格である財福の神という面が強まり、また9世紀頃からは正月の追儺において、疫病を祓う役どころがかつての方相氏から毘沙門天と竜天のコンビに変わっていったことから無病息災の神という一面が加わる。 平安時代末期にはエビスの本地仏ともされ、日本では毘沙門天は甲冑をつけた姿が主流となるがこの姿はエビス神の古い形態でもあり、このことは市場で祀られたことと関係がある。 こうして福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・大黒にならぶ人気を誇るようになる。 室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。--- ウィキペディアより 抜粋 ---