6代将軍足利義教によって室町時代後期の嘉吉元年(1441)に再建されたとも伝えられる。高さは19.8mで,三重塔としては低い方に属するが,優れた塔である。ここへは、 ホント 久しぶりに来ました。--- 晴れらんまん。 おかやま旅ネット より抜粋 ---
寺伝によると、仁王門は三代将軍足利義満によって室町初期に本堂とともに建立されたとするが、「備前州和気郡大瀧山福生寺記」(元禄14年成立)によると、康正元年(1455)に戦火で福生寺の大半は焼失し、その後明応3年(1494)に本堂を再建しているから、門の再建はこれより後であろう。天正19年銘の鬼瓦・丸瓦の存在から、このころに再建または何らかの工事が行われたと考えられる。また内法長押に打たれていた元和9年(1623)銘の施主札及び使用された材の状況から、現在の門の建立年代は元和九年で、組物などに天正の材が残る可能性があると判断される。 構造形式は三間一戸八脚門で、屋根は入母屋造、本瓦葺である。平面は中央間を通路とし、両脇間は板敷きとする。軸部は円柱を地長押、足固貫、頭貫で固める。組物は出三斗実肘木、中備は正面側が中央蟇股、両脇間斗束、両側面はなし、背面は三間とも間斗束、背面中央間の内側には蟇股を飾る。軒は二軒繁垂木、妻の破風は縦板張である。天井は猿頬天井とする。 従来、地長押が珍しいとされ、それより下の柱が切断されたと伝承されるが、他にも地長押をもつ門の例があり、また地長押より下には壁の痕跡などがないので、当初からこの形であったと考えられる。 この仁王門は、全体として当時の形態をよく残し、県下では数少ない17世紀前期の門として重要である。私は 写真の技術のある人間ではないんで・・・--- 岡山県 ホームページ より抜粋 ---