100年近くに渡って親しんでいただいている名菓「ひよ子」に新しい仲間が誕生しました。またまた お土産を貰いました。
従来の、愛らしい形はそのままに、 白餡に卵の黄味を使った、やさしい味わいの「黄味餡」に替わって、塩にこだわった小豆の赤餡を包んだ新しいお味です。そのおいしさで定評のある、北海道産の小豆を精選し、ていねいに炊き上げた赤餡に和三盆糖を加えて、塩でほどよく塩梅しました。--- 東京ひよこ便り より 抜粋 ---
スンドゥブ・チゲは、その名の通りスンドゥブを使った鍋料理である。小型の土鍋(トゥッペギ)などにアサリやシジミを敷き、スンドゥブと肉・野菜を入れて水またはスープを張り、コチュジャン、唐辛子粉、ニンニク、ごま油などを使った合わせ調味料で辛味の味付けをして煮込み、最後に生卵を落とす。飲食店ではご飯やパンチャン(おかず類)と共に、スンドゥブ・ペッパン(白飯=定食のこと)として供される。私は猫舌なので 冷蔵庫からタマゴを取り出し・・・
もちろん一般的なメニューであるがゆえに具材や調理法は多様である。肝心の豆腐が「くずした絹豆腐」などになることがある。スープは上記アサリなど海鮮系のことが多いが、肉系になることや味噌を加えることもある。一般的には唐辛子粉で真っ赤に染まった辛いスープなのであるが、唐辛子を用いない「ハヤン(白い)スンドゥブ・チゲ」もある。豆腐以外の具材は豚肉、牛肉、魚介類、野菜とさまざまで、専門店の中にはスンドゥブ・チゲだけでバリエーションをそろえているところもある。--- ウィキペディアより 抜粋 ---
感度を上げて(ISO-3200)撮っている為に・・・■■■ これまで誰も手を付けていない独特の味を創造したい ■■■
1951年の発売以来、ロングセラーを続ける「ミルキー」は、初代社長・林右衛門の青年のような夢から始まりました。戦災で焼け残ったボイラーただ1基を手掛かりに、彼は戦後いち早く、沼津工場を再建しますが、ここではまもなく水アメと練乳の製造が開始されます。水アメと練乳、二つの製菓材料を手にした林右衛門は、これを結び付けようと思い付くのです。
以来、彼は自宅に程近い鶴見工場に暇さえあればこもり、試作と吟味を繰り返します。昭和24~25年頃のことでした。新製品が幼児を対象とし「ママの味」をキャッチフレーズとする構想は、このころすでに固まっていました。だから新製品は、母親の愛情を表すようなやわらかい味、母乳のなつかしさを感じさせるようなお菓子でなければ。丸2年の間、何10種、何100種の試作品が検討されたといいます。
ようやく完成したのは、昭和26年。練乳を50%近く使い、思い切ってまろやかな味を出したため、砂糖1貫目(3.75kg)が2000円、バターもろくに出回らない、米の値段が60kg2800円という当時としては、信じられないほど贅沢な新菓でした。開発段階では「ジョッキー」と名付けられていましたが、「牛乳そのままの味を生かした」というイメージから、「ミルキー」という名で発売されました。まずは銀座店で売られ、そして全国販売するための条件が整ったと判断された27年、いよいよ小売店への卸売りが開始されます。
全く新しいおいしさ、豊富な栄養、それに10円の廉価という3拍子揃ったこのお菓子は、またたく間にたくさんの子供たち、母親たちに支持される大ヒット商品となり、不二家の名を全国に浸透させる役目を果たしました。--- ウィキペディアより 抜粋 ---