自力で何も出来ないことすら分らないのが痛いですね。◇◆ 韓国「偵察衛星貸して」 諸外国に依頼も全て断られる ◆◇
北朝鮮の核(水爆)・ミサイル実験でようやく危機を実感した韓国政府と軍が混乱している。 北朝鮮のミサイルに対抗する手立てが、韓国には全くないことが明らかになったのだ。 特に発射の瞬間を捉える偵察衛星は諸外国に「貸してほしい」とレンタルを依頼したが、全て断られた。 韓国本土防衛の望みは暗い。(岡田敏彦)
誰か貸してくれないか
韓国では北の核・ミサイル開発に対抗し、防衛システム「キルチェーン」を構築し本土を防衛することとしていた。 韓国版「キルチェーン」とは、北の核・ミサイル施設に先制攻撃をかけるプランで、ミサイル発射の兆候を偵察衛星で把握し、発射場所を先制攻撃するもの。 韓国空軍の戦闘機KF-16の地上攻撃能力を向上させるなどの改造費も含まれる大規模な防衛計画だ。 ところが、このキルチェーンの第一歩となる偵察衛星を、韓国は持っていなかった。
中央日報(電子版)などによると、韓国防衛事業庁は8月25日、レーダー搭載衛星4機と赤外線センサー搭載衛星1機の計5機の偵察衛星を21年から3年間で打ち上げ運用する計画を発表した。 しかし、この計画が完成する23年までの約6年間は、北のミサイル発射の兆候を探知する手立てがない。 そこで韓国軍は偵察衛星の「レンタル」というアイデアを思いつき、諸外国に打診したのだ。 その結果は、「貸し借りするという発想は最初から無理だった」(韓国テレビ局SBS電子版)。 韓国軍が打診したイスラエル、ドイツ、フランスからは、いずれも「貸せない」という通知が9月11日までに届いたという。
軍事用の偵察衛星はいずれも「脅威のある場所」を恒常的に偵察できる軌道に投入されており、イスラエルなど3国の衛星が東欧や中東周辺を重点とした軌道を描いているのは間違いない。 北朝鮮を偵察するためには軌道変更が必要で、そのためには偵察衛星の持つエネルギー(推進剤)を相当量失うこととなる。 本来なら偵察高度を下げ詳細な情報を得るなど「いざというとき」のために使うエネルギーを失ってしまうのだ。 また、映像からどれだけ細かい情報が得られるか(分解能)など軍事衛星の能力も「レンタル先」に明らかになってしまう。 たとえ同盟国でも貸し借りなどあり得ない。
しかも偵察衛星の寿命はどの国でも5年前後とされている。 他国に貸せば衛星開発費と打ち上げ費用に加え、十年以上の長期スパンで考え抜かれた偵察衛星システム、さらには安全保障構想さえ変更を迫られることになる。 SBSによると、3国からは偵察衛星を貸せないどころか、映像の貸与や販売もできないと、けんもほろろの応対を受けたという。
計画と信用
北朝鮮の核、ミサイル開発は急速に進んでおり、9月15日には今年8回目となるミサイル発射を実施、北海道上空を通過している。 日本では「Jアラート」でミサイルの飛翔が通知されたが、この発射を最も早く探知したのは米国の偵察衛星とされる。 ミサイル発射時の炎や熱を衛星が感知し、米軍システムから日本海を遊弋するイージス艦や米海軍太平洋司令部、日本政府や自衛隊などに通知される。
一方で日本も事実上の偵察衛星といえる情報収集衛星を03年から10機以上打ち上げている。 ところが、北朝鮮の軍事力の脅威に直面している韓国はゼロ。 これまで何をしていたのかといえば、かりそめの平和に浸っていたのだ。
「ろうそくデモ」で退陣した朴槿恵(パク・クネ)前大統領は12年12月の大統領選でこんな公約を掲げた。 「2020年には月に太極旗(韓国国旗)がはためくだろう」と、月への有人探査を宣言した。 以降、「韓国型ロケット」と称する液体燃料ロケット「KLSV2」の開発に多額の資金を投入してきた。 自国技術での打ち上げに資金などのリソースを集中したのだ。 しかし技術力不足から月計画は延期を重ね、現在の目標は21年に月衛星軌道投入というもの。 当初の「20年に有人月探査」からは大きく後退した計画となっている。 こんな資金があれば偵察衛星を作り、他国に打ち上げを依頼できたはずだが、韓国の優先順位は目の前の危機より“絵に描いた餅”だった。
現実との乖離
韓国軍は14日、遠距離誘導弾(巡航ミサイル)「タウルス」の試射に成功したと発表し、国民に安心と安全を打ち出したが、このミサイルはドイツ製。 これまで国産武器にこだわってきたが、戦車も自走砲も戦闘機も国産化できず、“使い捨て”の誘導弾すら輸入せざるを得なかった。 北朝鮮が一途に核兵器と弾道ミサイルを開発する間、造船やメモリーなど目先の金儲けに右往左往してきた結果、韓国の防衛産業は全くと言っていいほど育っていなかったのだ。 その結果、「ミサイル防衛」は丸裸の状態が続いている。
日本の場合、弾道ミサイル防衛は、弾道ミサイルを宇宙で破壊するSM3と、大気圏に再突入してきたところを迎え撃つPAC3の二段構えだ。いずれも高性能の誘導ミサイルで、超音速の弾道ミサイルを迎撃できる。 いわば「拳銃の弾を拳銃で撃ち落とす」ような離れ業を現実のものとしている。 このうち後者のPAC3は射程が比較的短く拠点防衛用で、主役は高高度で迎撃するSM3だ。 これは高性能レーダーを搭載した海上自衛隊のイージス艦から発射、誘導するものだ。 ところが韓国海軍は、イージス艦を導入しているものの、SM3を誘導する高額なシステムは導入していない。 当然SM3も搭載しておらず、北朝鮮が弾道ミサイルを発射しても「見てるだけ」の状態が長年続いている。 「短距離側」も弾道ミサイル迎撃対応のPAC3ではなく、一世代前の対航空機用のPAC2しか配備しておらず、北の弾道ミサイルを迎撃する手立てがないのだ。
唯一の希望は在韓米軍が配備する高高度防衛ミサイル(THAAD)だが、韓国では有りがたく受け入れるどころか反対運動が巻き起こり、文在寅(ムン・ジェイン)大統領もこれを収めるどころか、配備を問題視する始末。 これでは米国から「コリア・パッシング」されても当然だ。 さかのぼれば、韓国全域を射程に収めた北の準中距離ミサイル(IRBM)「ノドン」の開発・配備は1993年。以降25年間、危機から目を背けてきたツケの支払いを韓国は迫られている。--- 産経 WEST(2017.9.26)より 抜粋 ---
国家レベルでのこの陰湿さなので 個人レベルの凄さは想像も出来ません。◇◆ 公式HPの世界地図に日本がない 「ひどい」「わざとか」日本人の怒りの投稿続々 ◆◇
平昌五輪の公式ホームページに掲載されている世界地図から日本がなくなっていることが27日、分かった。 日本のツイッター上では「これはひどい」「陰湿すぎ」「政治利用するな」といった怒りの投稿が相次ぎ、なかには「ボイコットすべきだ」といった意見も上がっている。 問題の地図は、平昌五輪の公式HP内の「ドリーム・プログラム」を紹介するページにある。
気候などの原因で練習が難しい国や地域の青少年を招待し、ウインタースポーツを体験する機会を与える取り組みだが、参加国を紹介する世界地図のなかからサハリン(樺太)ともども日本列島が抜け落ちているのだ。 スマホ版では画像と重なって見えないが、パソコンで確認すると完全に抜け落ちているのが分かる。 また、別のページに掲載されている、朝鮮半島の地図には日本海を「EastSea」、島根県の竹島を「Dokdo」の表記もあった。
日本のツイッターユーザーの間では「これわざとでしょ?」「差別じゃないの?」「五輪憲章である『五輪を政治利用してはならない』っていう違反を犯してる」「ボイコットかな」との怒りの声が相次いだ。 「例えば日本人がよく見る東アジアの地図は詳しいように、韓国人も同じだと思う。 日本にある世界地図で仮に朝鮮半島が抜けてたら気がつくだろう。 ましてや五輪のHPなんだから、何人も確認してから載せるはず。 確信犯としか思えん」といった声や、「自分がされて嫌なことをしてくる国とどうやって仲良くすれば」という困惑の声もあった。 この件に関して、平昌五輪組織委員会など韓国側の見解や対応が注目される。--- 産経ニュース(2017.9.27)より 抜粋 ---
環境に優しい・・・◇◆ 板井原集落 ◆◇
板井原集落(いたいばらしゅうらく)は鳥取県八頭郡智頭町にある山村集落。 県選定伝統的建造物群保存地区。 牛伏山や海上山など周囲の山々の間に沈みこんだ集落には平家落人の隠れ里の伝説が残る。
智頭往来が通る智頭宿の牛伏山の裏側の山間部、千代川水系板井原川(赤波川)の谷間の標高約430メートルに位置する集落で、江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた。 集落は上流側の智頭町に位置する上板井原と、鳥取市(旧用瀬町)に位置する板井原の2つからなるが、鳥取市側の板井原は1975年に廃村となったため、板井原集落といえば通常は上板井原地区を指す。 養蚕最盛期には複数の土蔵を備えた邸宅があったが、古峠の下を抜けるトンネルが開通した1967年以降、急速に過疎化が進んだ。 近年になって江戸時代の地割をそのまま残すこの地区が文化遺産として注目されるようになり、「日本の山村集落の原風景」と贊えられるようにもなった。 21世紀になって漸く古民家の保存と再生作業が始まったばかりである。
集落内の110棟余の建物はほぼ全てが昭和40年以前の建築で、その内23棟は江戸時代から昭和初期にかけて建てられてたものである。 建物正面に杉の大材を用いた縁桁が見られ、杉の産地である智頭の特徴が見られる。 明治以前の建物は茅葺であったが、養蚕の盛んになった大正時代以降は杉皮葺のものが多くなり、昭和になるとトタン葺屋根に変えられるものが多くなった。 昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落である。
2004年(平成16年)2月3日、都道府県選定は全国初となる伝統的建造物群保存地区に選定された。
なお現在まで、自動車が集落内に入ったことはない。--- ウィキペディアより 抜粋 ---
だんだんと韓国の正体が暴かれて行きます。◇◆ ベトナムの韓国大使館前に「ライダイハン母子像」建立計画 ◆◇
誰もが加害者にもなり、被害者にもなり得る、それが戦争だ。 その二面性に、あらゆる国家が苦しんできた。 その本質に目を背け、ただ被害者だけを装い続ける隣国の矛盾が、ついに露呈した。 「最終的かつ不可逆的な解決」を謳った慰安婦問題の日韓合意を「国民の大多数が受け入れられない」と蒸し返す韓国の文在寅・大統領。 その文氏を巨大な“ブーメラン”が襲った。 この9月12日、イギリスの市民活動家、ピーター・キャロル氏の呼びかけで、ロンドンで民間団体「ライダイハンのための正義」が設立されたのだ。
「ライ」はベトナム語で「混血」、「ダイハン」は「韓国」を意味する。 韓国はベトナム戦争(1960~75年)当時、アメリカを支援して延べ34万人の兵士を送り込んだ。 だが、彼らは現地で多くの強姦事件や民間人虐殺を繰り広げた。 ライダイハンとは、韓国兵による強姦などによって生まれた子供たちのことであり、ベトナム戦争終結後、ほとんどが置き去りにされた。 その数は推計で数千~3万人とも言われる。 韓国政府はこれまで、この問題に関する公式の謝罪や賠償は一切行なってこなかった。 それどころか、これに触れること自体、韓国ではタブーとされてきた。 それが今、支援団体の設立によって国際社会に晒されようとしているのだ。
ロンドン市内で開かれた同団体の設立イベントにはジャック・ストロー元外相も出席した。 公式サイトには、設立趣旨としてこう書かれている。 〈混血の子供たちはライダイハンとして知られ、今日でも日陰の生活を送っている。われわれは、このような形で食い物にされたすべてのベトナム人女性のため、ライダイハンの子供たちのため、そして、彼らが当然受けるべき存在の認知と尊重のために戦う〉
さらに、同団体のメンバーで英国人ジャーナリストのシャロン・ヘンドリー氏は、レイプ被害者やライダイハンの子供たちへの聞き取り調査を英インディペンデント紙(9月11日付)に寄稿した。 そこでは韓国軍司令官の家で食事を作る手伝いをしていた10代の女性がレイプされた事例や、子供たちが学校で“犬の子”と呼ばれて差別を受けている実態をレポートしている。 ヘンドリー氏は、〈韓国政府は決して韓国兵が行なった行為を認めず、調査すらしない〉と、韓国政府の姿勢を批判している。 韓国の戦争犯罪を糾弾する市民団体が、まさかイギリスで誕生するなど、文大統領は夢にも思わなかったのではないか。
◆韓国での報道は一切なし
韓国の国際的地位を揺るがしかねないこのニュースを、韓国メディアはどう報じたのか。 新聞等の主要メディアを確認した限り、驚くことに取り扱ったメディアは1つもなかった。 文大統領はじめ政府側も、一切コメントを出していない。 それだけこの問題のタブー性は強いということだ。 かつて韓国のリベラル系週刊誌「ハンギョレ21」が、ベトナム戦争でのレイプや虐殺の実態を告発するキャンペーンを行なったところ、退役軍人団体の「枯葉剤戦友会」が激怒し、2000年6月にメンバーらがソウルのハンギョレ本社を襲撃、印刷施設や自動車、パソコンを破壊するという事件が起き、韓国社会を震撼させた。--- NEWS ポスト セブン(2017.09.26)より 抜粋 ---
とりあえず・・・◇◆ 板井原集落 ◆◇
板井原集落(いたいばらしゅうらく)は鳥取県八頭郡智頭町にある山村集落。 県選定伝統的建造物群保存地区。 牛伏山や海上山など周囲の山々の間に沈みこんだ集落には平家落人の隠れ里の伝説が残る。
智頭往来が通る智頭宿の牛伏山の裏側の山間部、千代川水系板井原川(赤波川)の谷間の標高約430メートルに位置する集落で、江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた。 集落は上流側の智頭町に位置する上板井原と、鳥取市(旧用瀬町)に位置する板井原の2つからなるが、鳥取市側の板井原は1975年に廃村となったため、板井原集落といえば通常は上板井原地区を指す。 養蚕最盛期には複数の土蔵を備えた邸宅があったが、古峠の下を抜けるトンネルが開通した1967年以降、急速に過疎化が進んだ。 近年になって江戸時代の地割をそのまま残すこの地区が文化遺産として注目されるようになり、「日本の山村集落の原風景」と贊えられるようにもなった。 21世紀になって漸く古民家の保存と再生作業が始まったばかりである。
集落内の110棟余の建物はほぼ全てが昭和40年以前の建築で、その内23棟は江戸時代から昭和初期にかけて建てられてたものである。 建物正面に杉の大材を用いた縁桁が見られ、杉の産地である智頭の特徴が見られる。 明治以前の建物は茅葺であったが、養蚕の盛んになった大正時代以降は杉皮葺のものが多くなり、昭和になるとトタン葺屋根に変えられるものが多くなった。 昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落である。
2004年(平成16年)2月3日、都道府県選定は全国初となる伝統的建造物群保存地区に選定された。
なお現在まで、自動車が集落内に入ったことはない。--- ウィキペディアより 抜粋 ---
よりによって 何で修学旅行先が韓国なんだろう?◇◆ 韓国修学旅行が激減、10年超で10分の1に 反日的言動きっかけ、半島危機が追い打ち ◆◇
北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、「6回目の核実験」を強行するなど朝鮮半島の緊張が高まるなか、長崎県対馬市の県立高校が韓国への修学旅行を中止した。 実は修学旅行先として韓国を選ぶ高校はここ15年あまりの間に減少の一途をたどっている。 原因は危ない隣国だけではなく、韓国自身にもある。 特に政権が反日姿勢を強めた2012年以降は激減しており、専門家は「保護者も韓国はダメだと気づき始めたからではないか」と分析する。
北朝鮮による米領グアム沖へのミサイル発射計画を受け、グアムへの修学旅行を中止する高校が相次いでいるが、韓国行きの修学旅行を取りやめたのは、韓国から直線距離で最短49・5キロしか離れていない対馬市の県立上対馬高校だ。 2年生36人が来年1月に釜山(プサン)やその周辺を3泊4日で訪れる予定だったが、北朝鮮のミサイル発射などの事態を受け、7月下旬に中止を決めた。 同校では「国際感覚を身につけてもらうため、毎年実施していたが、生徒の安全・安心を考慮して中止を決めた」(浅井隆教頭)と説明している。
もっとも、韓国への修学旅行が減少傾向にあるのは以前からで、北の暴挙はそれに追い打ちをかけたというのが実状のようだ。 文部科学省の調査によると、修学旅行の行き先として韓国を選んだ高校は2000年度で公立、私立合わせて全国241校あり、参加者は3万7663人。 外国への修学旅行先では、国別順位で中国に次いで2位だった。 11年度までは減少傾向ながらも2万人台をキープし、国別順位も3位だったが、13年度の調査では一気に1万2000人台まで減少、国別順位も6位に低下した。 最新調査である15年度時点ではさらに激減し、全国で31校、参加者数は2793人と、04年度と比べて約10分の1になっている。 国別の順位も1位の米国、2位の台湾、3位のシンガポールに大きく引き離され、5位のマレーシア、8位のベトナム、9位のニュージーランドの後塵(こうじん)を拝して10位に後退した。
『呆韓論』(産経新聞出版)などの著書があるジャーナリストの室谷克実氏は「礼儀を知らないあの国では国際感覚なんて身につかない」と指摘。 その上で、日本人の韓国に対する心境の変化をこう分析する。 「12年に当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領が日本固有の領土である竹島に上陸したり、天皇陛下に対し『ひざまずいて謝れ』という旨の発言をするなど、日本を陥れてきた。 朴槿恵(パク・クネ)大統領当時の14年には旅客船セウォル号の沈没事故があったほか、15年にはMERS(中東呼吸器症候群)の流行などの災いが頻発しており、韓国に行くことに保護者らから反対の声があがるのもごく自然なことだ」
確かに文科省の統計をみても、李元大統領の反日的言動の翌年で、朴前大統領が就任した13年度から韓国への修学旅行参加者がガクンと落ち込んでいる。 セウォル号の事故では、修学旅行中だった韓国の高校生ら約300人が犠牲になったこともあってか、韓国への修学旅行を予定していた学校で、保護者の9割以上が「(行き先が)韓国なら承諾しない」と回答したケースもあったという。 今年に入ると、40年以上にわたって韓国への修学旅行を実施してきた学校法人智辯学園(奈良県五條市)が運営する3つの高校が、北朝鮮問題を考慮して韓国行きを取りやめた。
淑徳大観光経営学科の千葉千枝子教授は「韓国は熱心に日本の修学旅行の誘致活動をした結果、一時は多くの学校が行き先として選んでいた。 だが、現在では台湾も誘致に力を入れており、近隣諸国への修学旅行先は完全に韓国に取って代わっている」と解説する。 前出の室谷氏によると、「以前は修学旅行生に対し、過去の歴史について韓国人に土下座まがいの『謝罪』をさせるなど、とんでもない高校もあった」という。韓国を修学旅行とする学校が減ったことについては、「それだけ日本人が冷静に物事を考えられるようになってきたのだろう」と話した。
イヤな思いをしてまで行く必要はないということか。--- zakzak by 夕刊フジ(2017.9.4)より 抜粋 ---
今回で33弾・・・◇◆ 板井原集落 ◆◇
板井原集落(いたいばらしゅうらく)は鳥取県八頭郡智頭町にある山村集落。 県選定伝統的建造物群保存地区。 牛伏山や海上山など周囲の山々の間に沈みこんだ集落には平家落人の隠れ里の伝説が残る。
智頭往来が通る智頭宿の牛伏山の裏側の山間部、千代川水系板井原川(赤波川)の谷間の標高約430メートルに位置する集落で、江戸時代は農業と炭焼き、明治時代は養蚕で栄えた。 集落は上流側の智頭町に位置する上板井原と、鳥取市(旧用瀬町)に位置する板井原の2つからなるが、鳥取市側の板井原は1975年に廃村となったため、板井原集落といえば通常は上板井原地区を指す。 養蚕最盛期には複数の土蔵を備えた邸宅があったが、古峠の下を抜けるトンネルが開通した1967年以降、急速に過疎化が進んだ。 近年になって江戸時代の地割をそのまま残すこの地区が文化遺産として注目されるようになり、「日本の山村集落の原風景」と贊えられるようにもなった。 21世紀になって漸く古民家の保存と再生作業が始まったばかりである。
集落内の110棟余の建物はほぼ全てが昭和40年以前の建築で、その内23棟は江戸時代から昭和初期にかけて建てられてたものである。 建物正面に杉の大材を用いた縁桁が見られ、杉の産地である智頭の特徴が見られる。 明治以前の建物は茅葺であったが、養蚕の盛んになった大正時代以降は杉皮葺のものが多くなり、昭和になるとトタン葺屋根に変えられるものが多くなった。 昭和30年代の日本の風景を今に伝える集落である。
2004年(平成16年)2月3日、都道府県選定は全国初となる伝統的建造物群保存地区に選定された。
なお現在まで、自動車が集落内に入ったことはない。--- ウィキペディアより 抜粋 ---