◇◆ 利元越修繕記録書 ◆◇
明治四十四年五月二十九日 南北協議会開催、西加茂村・高田村・東一宮村の三村合同で出願することに決定。
同四十五年二月十八日 発起人会委員選出、岡田栄三郎他五名。 発起人承諾者二十四名。
同年二月二十四日 発起人会開催。
同年三月五日 南北連合会を利元峠において開催。
同年三月十二日 槍原中地内より着工、貝尾地内は翌十三日着工。
同年四月二十六日 開通祝賀会開催、旧荒坂越えとの比較実測を行う。--- 加茂町史(p809~814)利元峠の改修より 抜粋 ---
一番左に 本家のじいさん孝四郎(仮名)の長男の寺井茂吉(仮名)の名前がありますが・・・
その右側の同姓の方は誰でしょう? 茂吉の隣に住む親族の寺井虎三(仮名)の親父だろうか??
更に右側の方(※下記参照)は坂元集落に住んでた岡本和夫(仮名)と同姓という事から株内なのだろう。
一番右は内山寿(仮名)と同姓だったりしますが このあと株内に西加茂村の農業技術・経営改善・生活活動改善に尽力する方が出てきます♪♫
※ つづきを御覧下さい。--- TAMRON SP AF 60mm F/2 Di II LD [IF] MACRO 1:1 で撮影 ---≫ ランキングに イイネ!≪
卒業式・入学式が学校儀式の慣行として成立するのは二十年代とされるが、二十九年の小中原小学校卒業式の送辞を掲げよう。--- 加茂町史(p954)明治の学校生活より抜粋 ---
この在学生徒惣代(高等4学年生)の名前・・・ 上記にもありますよね。
加茂町史(P566)によると 御先祖さまは岡田城主であったとの事で・・・
豊臣家の滅亡のため慶長年間・・・ 槍原(単姓村落)に住みついたとの事で 家柄のよさから教育度の高さも伺えます♪♫
※ 本当に恐れ入りました。因みに・・・ この明治29年(1896)当時は14歳。上記の道路開通記念碑の大正5年(1916)当時は34歳。そして昭和13年(1938)当時は56歳だったという事になります。