おそらく日本は戦後・・・ 敗戦病を患い・・・◇◆ 韓国は不法占拠をどう正当化させていったか 日韓が交換した口上書を読み解く ◆◇
韓国が不法占拠を続ける日本の領土・竹島(島根県隠岐の島町)。 韓国が一方的に自国領と宣言してから日韓国交正常化までの間、両政府は領有を主張する口上書を何度も交換した。 このやり取りに着目したのが、県の第4期竹島問題研究会委員で日本安全保障戦略研究所研究員の藤井賢二氏だ。 県主催の公開講座「竹島問題を考える講座」で、韓国が不法占拠を正当化していく過程を口上書から分析してみせた。 講演の主な内容は次のとおり。
日本のカードは強力なのに…
領土問題の論争は、ポーカーゲームのようなもの。 どちらが強い札を持っているかで勝負が決まる。 日本にはその点、韓国にない強力な3枚のカードがある。 1枚目は、日本が江戸時代の17世紀、竹島の正確な知識を持って経営し、幕府がそれを認めていたという点。 2枚目は、明治に入り日本が竹島領有の意思を示し、他国のクレームなくきちんと支配したという実績。 3枚目は、サンフランシスコ平和条約の交渉時、韓国の竹島領有の主張を米国が拒否し、日本領として残されたというカードだ。
日本のカードは強力で、韓国側にはこうした札が皆無。 にもかかわらず、なぜあれだけ「独島(竹島の韓国側呼称)は自国領だ」と威張れるのか。 1953年から65年にかけて、日韓両政府が交換した竹島領有をめぐる口上書を読み進めると、今の韓国側の主張がどうやって形成されていったか、あの自信はどこからくるのかが、分かってきた。
日本が示す国際法への韓国の対応は…
口上書の1回目のやりとりは1953年。 日本側は「近代国際法の通念によれば、およそ一国が領土権を確立するためには、領土となす国家の意思と有効的経営を伴うことが必要」「竹島について見るに、日本政府は明治38(1905)年2月22日付の島根県告示をもって同島を島根県所属隠岐島司の所管に編入」「一国民が日本国政府の正式許可を得て同島に漁舎を構え人夫を移し、漁猟の経営に着手し、今次戦争発生直前まで有効的な経営がなされてきた」「この間諸外国から同島の日本帰属について問題とされたことはない」と主張した。
一方、当時の韓国側は、独島が自国領である証拠として「大陸や朝鮮半島、台湾にしか生息していないチョウがいる」「鬱陵島(うつりょうとう)と植物相が似ている」などが根拠になると信じていた。 国際法を突きつけられてびっくりしたと想像する。 しかし、韓国は「独島は韓国人によって発見され、きわめて効果的で継続的な韓国当局による管理を受けてきた」と主張した。 日本側の文言を借りたような返答だったが、効果的で継続的な韓国当局による管理の証拠は見当たらなかった。 これでは勝てぬと思ったのか、韓国は2つのことを口上書に盛り込んだ。
1つは「侵略」。 5年後に日韓併合があるから、竹島編入は日本による侵略の一環だという主張。 もう1つは、日本人も竹島を朝鮮のものだと思っていたという記録、これを一生懸命探した。 これらは現在の主張にもつながっていく。 ただ、主張のために取り上げた第1次日韓協約の条文を間違えたり、引用した日本側資料の解釈を早とちりしたりと、準備不足とずさんさが目立った。
安龍福にすがる韓国
2回目のやりとり(1954年)でも、日本は国際法で攻める。 「近代国際法上、領土取得の要件として挙げられるのは、(1)国家としての領有の意思(2)その意思の公示(3)適当な支配権力の確立-だが、開国以前の日本には国際法の適用はないので、実際に日本の領土と考えて、日本の領土として取り扱い、他国がそれを争わなければ、それで領有するのは十分だったと認められる」とした。 近代とそれ以前の領土取得はフェーズが異なる-と韓国に教え、竹島が2つの島からなっていることを描いた絵図など、具体的な資料も示した。
一方、こうした資料のない韓国側は、反論にもならない反論を繰り返した。 その中でクローズアップしたのが、1905年以前に竹島を見た可能性のある朝鮮の人物・安龍福だった。 韓国側は17世紀末に「鬱陵島と独島が朝鮮領であることを、安が日本に認めさせた」と強弁。 「その功績で、安は死刑から流罪に減刑された」と持ち上げるのだが、彼は罪人で、国家の代表でも政府が派遣したわけでもない人物の言動だ。 「効果的、継続的な経営」の証拠にはなり得ないのに、韓国は今も安を称賛し続ける。 それは、江戸時代の頃、竹島にかかわった朝鮮側の人物が彼くらいしかいないからだ。
「17世紀も侵略で正当化できない」と韓国
3回目のやり取り(日本側は1956年、韓国側は59年)で、日本は「竹島領有の正当性を決定するための基本的な問題は、日韓両国のいずれが竹島について早くから正確な知識を持ち、それを領土の一部と考え、また実際にこれを経営してきたか、だ」と、国際法的な見地からの領有の正当性をまとめた。
韓国はこれに対し、「侵略」で切り返す。 日本は17世紀の竹島経営も、倭寇(わこう)として韓国の人民と財産を略奪した結果なのであり、侵略によって「竹島を知っていた」ことを正当化できない、とした。1905年だけでなく17世紀も侵略だ-というわけだ。 また、韓国側は、日本が提出した資料や主張のあら探し、揚げ足取りも精力的だった。 「1905年に竹島を島根県に編入した」という日本の主張に対し、「島根県に編入されるまで、独島は日本のどの県にも属さない非公式な領土であり、編入以前も『日本の領土の一部と考えてきた』との主張に反する」と反論。 現在の「日本固有の領土なら、なぜ1905年に自国領としなければいけないのか」という主張につながっている。
今も継承される半世紀前に作られた意識
この3回にわたる韓国の主張で、1905年より前の「効果的、継続的な当局による管理」は証明できなかった。 その立証がないと成り立たないのに、1905年の島根県編入とその5年後の日韓併合を結びつけて侵略の一環だと主張した。 また窮した韓国側は、日本の残した資料に韓国の領有の根拠を探すという不思議な作業を続けた。 これは現在も継承され、韓国の中学3年生が今年5月、島根県の社会科教師に竹島問題をめぐって出した手紙にも、「独島は我々には痛い歴史の地です。 過去日本が韓半島を侵奪した過程でもっとも最初に併呑された地です」などとあり、こうした特色が表れている。 半世紀以上も前に、政府によって作られた意識が植え付けられ、現在の子供たちに受け継がれているのだ。
韓国は理由なく竹島を占領し、もっともらしい理由を後付けしているが、それは法と正義にかなうのか。 小さな島の問題だからどうでもよいのではない。 北朝鮮や中国の脅威も深刻化する今、「日本は筋の通らない行為には黙っていない」ということを示す必要がある。
共通認識になってほしい政府見解
最後に、竹島問題をめぐる日本の主張を最もうまくまとめた政府の見解を紹介したい。 李明博大統領が竹島上陸を強行した際、当時の野田佳彦首相が記者会見したときのものだ。
「竹島は歴史的にも国際法上も、日本の領土であることは何の疑いもありません。 江戸時代初期には幕府の免許を受けて竹島が利用されており、遅くとも17世紀半ばにはわが国は領有権を確立していました。 その後、1905年の閣議決定により竹島を島根県に編入し、領有の意思を再確認しました。 韓国側はわが国よりも前に竹島を実効支配していたと主張しますが、根拠とされている文献の記述はあいまいで、裏付けとなる明確な証拠はありません。 戦後、サンフランシスコ平和条約の起草の過程においても韓国は日本による竹島の放棄を求めましたが、米国はこの要請を拒否しています。 こうした経緯があったにもかかわらず、戦後、韓国は不法な李承晩ラインを一方的に設定し、力をもって不法占拠を開始したのです。 竹島の問題は歴史認識の文脈で論じるべき問題ではありません。 戦後の韓国政府による一方的な占拠という行為が国際社会の法と正義にかなうのかという問題であります」
日本の持つ3つのカードがきちんと入っている。 これが、日本人の共通認識になってほしいと思っている。--- 産経 WEST(2017.10.6)より 抜粋 ---