知ってる人には当たり前の知ってる話ですが・・・◇◆ なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」 ◆◇
命題に気づくのは一瞬の直観
最近私は、民族には「脱落のプロトコル(命題)」があると主張している。 歴史上、その民族が関心を持たなかったものは、どうにもこうにも分からないのである。
たとえば古代エジプト人の「歴史」、だから歴史書が一冊も残っていない。 日本人の「奴隷制」、故にシベリア捕囚を抑留と勘違いして、奴隷労働をさせられてしまった。 韓国人の「文化」、文化はシナ文化しかなく、自分の文化には関心がなかった。 だから彼らは「入ってきたら内の物」だと思う。 剣道も華道も韓国起源、孔子は韓国人だったという。 外国人はこうのたまう彼らの文化(?)を俗にウリジナルといっている。
実に身もふたもない。 だが、はじめから分かっていたわけではない。 今から30年前の自分の本を読み返してみると、「なぜ彼らは受容しても自分の文化だと思うのだろうか」と、真剣に考えているのである。 人間が真剣に何かしている過程は美しいので、文章も国語の入試問題に使えそうなできばえだ。 今は一言でいえる。 「コリアンはシナ文化しかなかったので、文化に関心を持たなかった」。 書いている私がえげつなく見える。
もちろんこの思考過程では、いろいろと勉強するのであって、大阪市大の野崎充彦さん(朝鮮古典文学の専門家)は、長い研究の末、「朝鮮古典文学の特徴は朝鮮の不在である」という結論に達してしまった。 舞台も主人公もほとんどシナだから。 ウソをつかない、立派な学者だと私は思った。 でも、脱落のプロトコルに気づくのはほんの一瞬の直観なのだ。--- 産経ニュース(2017.11.7)より 抜粋 ---