正直・・・◇◆ 戦艦長門◆◇長門(ながと)は旧長門国を名前の由来に持つ大日本帝国海軍の戦艦で、長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。 敗戦後は米軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。
完成当時の1920年(大正9年)では世界最初であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノット(公試26.443ノット)の機動力を持つ高速戦艦で、世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。
2番艦の「陸奥」と共に各国海軍から注目され、大艦巨砲主義が最盛期をむかえていた列強海軍の熾烈な建艦競争にワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。
完成後に連合艦隊旗艦となり、その任を「陸奥」と交代で務めた。第二次世界大戦後に有名になった大和型戦艦「大和」「武蔵」が戦中は存在そのものが極秘だったこともあり、戦前と戦中には「長門」「陸奥」こそが日本海軍を代表する戦艦として国民から親しまれている。 「陸奥と長門は日本の誇り」といういろはカルタが制作された程である。
太平洋戦争開戦時の連合艦隊旗艦で、連合艦隊司令長官 山本五十六大将が座乗していた。1942年2月、連合艦隊旗艦は戦艦「大和」に移った。 以後、戦艦「大和」「武蔵」に次ぐ主力艦として温存され、太平洋戦争終盤まで最前線に出ることはなかった。 終戦時、横須賀にて中破状態で残存。 稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦である。 米軍に接収された後、1946年7月にビキニ環礁で実施された原爆実験「クロスロード作戦」に標的艦として投入。 二度の核爆発により浸水が進み、沈没した。--- ウィキペディアより 抜粋 ---
身の引き締まる・・・◇◆ 大和ミュージアム開館10周年記念イベント ◆◇石坂浩二名誉館長委嘱式
大和ミュージアムでは、本年4月23日に開館10周年を迎えました。 新たに、石坂浩二氏に名誉館長としてご就任頂くこととなりました。 つきましては次の日程で、名誉館長委嘱式を執り行います。 当日は、委嘱式を始めとし、海上自衛隊呉音楽隊様による演奏などがございます。 参加をご希望のお客様は、当日朝9時より大和ミュージアムにて、入場整理券を先着100名様に配布致します。
日時:2015年5月9日(土) 13:30~14:30
会場:大和ミュージアム1階 大和ホール
入場無料--- 大和ミュージアム H/Pより 抜粋 ---