光量の関係で・・・◇◆ ペコちゃん ◆◇不二家創業者の藤井林右衛門と息子の誠司は「ミルキー」発売に際して、母親や子どもたちに親しみやすい可愛いキャラクターをと考え、女の子のキャラクターを使うことを思い付く。 同社は戦前から出していた「フランスキャラメル」のパッケージにリアルな外国の少女のキャラクターを使用していたが、「ミルキー」は「フランスキャラメル」よりも対象年齢を低く設定していたため、単純で分かりやすいデザインを志向した結果生まれたのがペコちゃんだった。 誕生当時の1950年には名前がなかった。 また年齢は1958年12月12日の懸賞公募キャンペーン「ペコちゃんいくつ?」で決定された。 なおこの時の1等賞品は日野ルノーだった。
ペコちゃん人形が不二家の店頭に置かれるようになったのは1950年前後からで、第1号の人形は、日劇の大道具スタッフの手によって作られた。 当時は張り子で作られており、ポコちゃんの人形も見受けられた。 1960年頃からプラスチック製の人形が置かれるようになった。 当初はパンツを穿いていなかったが、スカート姿の路上ドールが子供からたびたびスカートをめくられるため、のちにパンツを穿くようになったと言われている。 雑誌『ペコちゃん』(少年画報社)が発刊されたり、南極観測隊とともに昭和基地へ行ったりしたこともあった。 デザインも時代により変化しており、赤のオーバーオールが1970年代になるとややスリムになった。 その後1990年代にピンクのサスペンダースカートにいったん変更され、2007年に再びオーバーオールに戻った。
ペコちゃんの舌の向きは当初は複数のイラストレーターが描いていたために一定していなかったが、1968年頃から左に揃えられた。 また「ミルキー」ブランドのペコちゃんは1970年代まではデザインに差異があったが、1980年代に入ると「ペコマニュアル」が作成され、「ミルキーペコ」は青いオーバーオールとリボンに黄色いシャツ、胸から上のみなどと定型化され、それ以外のペコちゃんのデザインにも一定の指針が設けられた。--- ウィキペディアより 抜粋 ---