当初の計画では、当時の専務で自身が技術者でもあった豊田英二の陣頭指揮の下、シトロエン・2CVに倣った前輪駆動(FF)方式を採用することとなり、一次試作車も完成したが、当時の技術的限界から駆動系にはトラブルが続出し、以後の開発は進捗しなかった。よく見ると・・・
後を受けた主査の長谷川龍雄は、オープン・プロペラシャフトを介したホチキスドライブ型の後輪駆動(FR)方式という平凡なレイアウトへの変更を断行した。 トヨタと長谷川自身にとって過去に経験のないFF車開発は、与えられた僅か2年の開発期間では不可能であるとの判断からである。 固定軸のFRなら設計自体は容易であり、駆動方式の変更による重量増の問題は、他の部分の設計で補う方針が採られた。
後年に至るまでトヨタ車史上唯一となったこの空冷エンジンは、水平対向2気筒であることと、遠心式のシロッコファン(プロペラファンよりやや効率が劣るがコンパクトで騒音が少ない)とシュラウドを組み合わせた強制冷却という点は、範をとったシトロエン2CVと共通する。 しかし2CVのエンジンは、コネクティングロッド大端部を一体式とし、組立式クランクシャフトを窒素冷却して圧入する構造や、簡素化を狙ったシリンダーヘッドガスケットの省略、左右同時点火など、常道から外れた特徴が多く、当時の日本の内燃機関の通例や生産技術から乖離した特殊な設計でもあったため、より常識的なBMWやツェンダップなどのドイツ製オートバイ用水平対向2気筒エンジンをも参考とし、震動対策にも意を払った。 経験の少ない空冷エンジンの設計で、開発陣は熱変形など冷却対策に苦慮したという。
吸排気バルブの隙間調整機構として、日本の乗用車としては初の油圧式ラッシュアジャスターを採用し、メンテナンスフリーを実現したことが特徴である。 軽量かつ簡潔、しかもコンパクトにまとめ上げられたこのエンジンの採用で、FR車ながらエンジンルームの前後長を詰めることができ、FF車と大差ない居住空間が得られたが、同時に、空冷エンジン故の騒音や暖房能力などにハンデキャップを抱えることになった。--- ウィキペディアより 抜粋 ---