岡山県民に於いて・・・■■■ 岡山の ばら寿司 ■■■大阪などの関西でも同様の名称のばら寿司があるが、それよりも具材の品目数・大きさ・量が圧倒的に多いのが特徴である。この寿司の発祥は、江戸時代の岡山城下とされる。
地域や季節によって内容が変わるものの、基本的に椎茸・干瓢の煮しめなどの少量の切った具を混ぜ込んだ酢飯を作り、その上に錦糸玉子を敷き、さらにその上に茹でニンジン、酢蓮根、エンドウ、竹輪、蒲鉾、田麩、味を付けた高野豆腐、茹でた蛸、殻付の海老、焼穴子、烏賊、蛸、藻貝、鰆、ママカリなどの具材を大きめに切断して(藻貝やエビ、エンドウなどは切らない)敷き詰める。また生ものはあまり使用されない(地域によっては使用する)。また味付けも他地域とは異なっており、ちらし寿司とは似て非なるものであるが、これには由来がある。 寿司の食品素材を販売する広島の株式会社あじかんによれば、質素倹約を奨励し、庶民の奢侈をたびたび禁じた備前岡山藩藩主の池田光政が、汁物以外に副食を一品に制限する「一汁一菜令」を布告したことが、岡山名物のばらずしが生まれた背景となっていると説明している。 すなわち倹約の趣旨で出された「一汁一菜令」をかいくぐる脱法行為として発展したと言うものである。この説よると、寿司の製作過程が特徴的である。つまり現在ではまず目につく大きめの具であるが、当時はこれらをまず器(寿司桶)の底に敷き、それらを覆うように細かい具の入った酢飯で覆ったのである。そして食事の直前に器をひっくり返し、ハレの日の食事に用いたとされている。これで役人の目をごまかせたかどうか、或いは暗黙の了解があったのかそれは定かではないが、これがその説の概要である。--- ウィキペディアより 抜粋 ---