軍手の起源は江戸時代末期の弘化・安政(1844~1860年)頃の近代武装訓練の時に鉄砲を素手でさわって錆びないように兵士に手袋をさせたことが始まりとされ、長州藩の下級武士が鉄砲隊のため内職で手袋を縫ったと言われている。1867年、徳川幕府が軍隊を創設、これにより手袋の需要が大幅に増大した。明治に入り大日本帝国陸海軍が創設され、一層軍隊での需要が高まっていった。この頃から軍手と呼ばれるようになったとされる。軍用手袋・・・
日本軍においては下士官兵用の官給手袋(手套:しゅとう)として使用され、作業用というわけではなく主に防寒具として着用するものであった。
戦前の軍手も素材はメリヤスだったが、ニットによる全面編み上げではなく、平折りのメリヤスを織ってから、指の部分と、手の平の部分を別々に縫い上げる製法となっていた。また、手首部分にゴムは織り込まれておらず縁に色などは付されていない白一色のものであった。
戦後になってもこれらの製法は基本的に変わらず、生産量も限られ、比較的高価だった。1950年代に指の部分を縫える半自動機織り機が開発され生産量が倍増し、同時に軍手の価格は暴落したと言われる。1960年、作業時の安全性を向上させるため手首の部分にゴムを織り込んで編み上げる「ゴム入り安全手袋」が島精機の島正博によって発明された。1965年には同じく島精機により全自動手袋編機が開発され、縫い目の無いニットの手袋の量産が可能となったが、この編機は指先を四角に編むため、最終的に指先を丸める作業が必要とされた。この部分を改良し最初から丸型に編み込む全自動編機を松谷鉄工所が開発、完全に機械による全自動化となり、製法を含め現在の物と同様の軍手が完成された。--- ウィキペディアより 抜粋 ---